カンボジア・シェムリアップ訪問
こちらは私がかつて別SNSに2008年に投稿した旅行記からの投稿です…
若かりし頃の物の捉え方として笑っていただけると幸いです
グローバル社会での英語力
前にカンボジアのシェムリアップに行った時かなりの勢いで『もぅ行きたくないかも』と感じてしまった←これから行く人、ごめんなさい
観光客には何をするにもドルが必要。国の貨幣(リエル)が貧弱という点が原因らしい。
世界遺産を維持するために、出入国にかかる費用は日本円にして5000円くらい。高っっ。ユネスコの観光客価格戦略か。
物売りの感覚もドル中心。土産物はまず1ドルスタート。リエル払いが出来る店なら200円くらいで食事出来る場所があるのに、土産物はへたしたらそれ以上の値段がする。
極め付けは空港。出国後土産物売り場にあるブティックではこぞって観光客が大金をはたいてく。まるで今まで見てきた貧困が信じられないようなファッショナブルなインテリア。そこだけ日本のような価格設定。英語を解すスノッブな店員…。
個人的見解ですが、貧富の差を感じずにはいられなかった
そしてヴェトナムに差し込むメコン川を排出するトンレサップ湖を訪れた時、想像を越えた貧困ぶりを目の当たりにして、この虚しさをどこにぶつけたら?とモヤモヤした私。
そこに幼い3人の物売りの少女達が乗った木船が、エンジン搭載のクルーズ船に付けて来た。
『Banana, 1 dollar. Banana, 1 dollar!』
これのリフレイン。
それ以外の英語は喋らない。
別のアンコール遺跡で出会った少女達は一生懸命英語・日本語のミックスで喋りかけてきた。
生き残るための英会話。
下手したら日本の英語教育より実践的。
同じアジアでも日本語が喋れることがステータスであり、先進国である母国に甘んじて英語を喋る必要性がない環境で育った私達と彼女達。
生きていく力って何だろう???
日本はモノがあふれているから幸せ・・・という訳ではなくて。
GDPが一番になった国が偉いわけでもなくて。
物質的豊かさのみでは本当に心の平穏は訪れない。
でも、まだ地雷の恐怖と戦いながら子供を学校に通わせず、痩せた地で農家をする家庭が多いといわれる、カンボジア。
観光客がばらまくお金を頼りに、自分で作ることをやめちゃダメだ!
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